受田宏之(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 前国際交流センター長)

 

第二回小和田記念講座が、2023年3 月 21 日(火)、22 日(水)の両日、東京大学駒場キャンパスにて開催された。ハイブリッド方式での開催となり、オランダとの時差を考慮して、夕方から夜(16時~21時)にかけて行われた。ライデン大学で開催された第一回記念講座のテーマが「感情の地政学(Geopolitics of Emotions)」だったのに対し、第二回では「記憶と和解(Memory and Reconciliation)」を取り上げた。記憶と和解は、第一回同様、国際法の理念と現実的な国際政治との相克が顕著にみられるテーマである。実際、記憶と和解は日本でもオランダでも政治的争点となっており、かつ東京大学でもライデン大学でも国際法を含む様々な分野からの研究の蓄積がみられるという点で、小和田記念講座にふさわしいトピックであった。

初日は最初に、森山工・教養学部長と来日中のHester Bijlライデン大学学長よりご挨拶いただいた。続いて、小和田恆先生が、平和な国際社会の実現に貢献するという講座の目標を説明された後、和解について、日本では「妥協」という側面が強調されがちだが、それは「正義の実現」も意味することが見過ごされがちである等、外交の現場とアカデミーを、アジアと欧州を、長年行き来されてきた方ならではの含蓄あるお話をされた。

基調講演では、ドイツ現代史が専門の総合文化研究科教授、川喜田敦子氏に、記憶と和解を学際的に議論する際に必要となる論点を整理していただいた。何がどのように記憶されるかは、「記憶の政治」ないし「想起の文化(culture of remembrance)」として論じられるように、それが語られる時点における利害関心や心理状況に影響を受ける。記憶が政治権力やナショナリズム、国民の不安感と結び付くとき、それは和解よりも対立を促しがちとなる。歴史学者として資料を吟味し慎重に史実の分析と解釈を行う一方で、歴史教育も研究してきた川喜田氏は、「自省的な歴史認識(self-reflective historical perception)」を持つことの重要性を説く。基調講演に対し、外交史や外交の言説分析を専門とするライデン大学のHilde van Meegdenburg准教授より好意的なコメントがあり、分析に感情(emotions)の役割を明示的に含める必要などについて、川喜田氏も同意された。

初日の後半は、総合文化研究科名誉教授でJICA理事長の田中明彦氏より、日韓問題を軸に、アジアにおける植民地化と戦争がどのように解釈され、外交に反映されてきたのかに関する講演があった。日韓の歴史論争は、教科書検定、首相の靖国参拝、慰安婦への謝罪と補償等、日韓基本条約締結後にかえって顕在化するようになり、妥協案が導入されるとそれを否定する力が働き関係が悪化するというふうに、現在に至るまで続いている。田中氏は、アジア情勢に知悉した国際政治学者として、各国内における記憶の政治が国際関係と複雑に結び付いていることを示された。講演に対し、Laurens Jan Brinkhorstライデン大学名誉教授と小和田先生から丁寧なコメントをいただいた。

二日目の前半では、ライデン大学のLarissa van den Herik教授とVineet Thakur講師による欧州の事例の報告があった。Herik氏の報告は、オランダとインドネシアの関係を扱っている。1945年の日本の降伏から1950年(1949年末に独立)の期間になされた、オランダ軍によるインドネシア人への暴力について、2022年に公刊された調査報告をどのように評価すべきかを論じたものである。オランダ政府が助成した同報告は、オランダ軍による深刻で構造的な暴力の行使を認める一方で、インドネシアが当時まだ独立していないので国際法の対象外であるという論理に従い、法概念の使用を意図的に避けている。Herik氏は国際法学者として慎重な姿勢を保ちつつも、オランダの蛮行は国際法で裁けないという見解には様々な観点から反論が可能であること、さらに法学者と歴史学者の協働作業が有益であることを指摘している。講演の後、フィリピン現代史が専門の岡田泰平・総合文化研究科教授との間で有意義な意見交換があった。

続くThakur氏の講演は、インドネシア同様にかつてオランダの植民地であった南アフリカにおける和解の問題を取り上げている。同国の真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission:TRC)が進めた和解は、アパルトヘイト下での真実を解明することを通じて差別的なシステムを糾弾しつつ、平和裏の移行をもたらしたとして評価されることが多い。これに対し、Thakur氏の報告は、そうした評価の陰で、農地改革の遅れなど黒人への補償が被った損失に比べ過小であったこと、免責されたことにより白人側の反省が不十分なものに留まったこと等、和解のプロセスは多くの欠点を内包するものであり、まだ終わっていないことを、様々な歴史資料に基づきながら示すものであった。講演の後に、イギリス史を専門とする小川浩之・総合文化研究科教授から貴重なコメントをいただいた。

川喜田氏、田中氏、Herik氏、Thakur氏の報告からは、和解をめぐる方針とそれに果たす記憶の役割は裁く側にいるのか裁かれる側にいるのかだけでなく、時代背景さらには階層など関係者の属性により大きく隔たり得ること、またそれらにどうアプローチするかは専門性により異なることが、明らかとなったようにみえる。同時に、アジアであるか、ヨーロッパであるか、あるいはアフリカであるのかを問わず、記憶と和解は困難な問いであるが故に、大学は専門性の殻を破り、かつ社会に開かれることを通じて、不正と暴力を少しでも減らしていくことに寄与せねばならないとの思いも強くした。

二日目の後半では2時間半にわたって、両大学から選抜された7名(コメンテーターを除くと6名)の大学院生による討論が行われた。これは、「若手研究者が将来グローバルに活躍するための武者修行の場を与える」という小和田先生の想いを実現すべく企画された、記念講座の軸となる活動である。ライデン大学からはMaha Ali氏(専門は国際政治とアジア諸国)、Fé de Jonge氏(国際法と国際裁判所の歴史)、Jean Ndzana Ndzana氏(大量破壊兵器と平和構築)の3名、東京大学側からはRaymond Andaya氏(平和構築と人権概念)、Junko Miura(国際移民の人類学)、Soojin Lee氏(紛争解決と移行期正義)、Chon Yoju氏(コメンテーター、日韓外交史)の4名という、背景も専門テーマも異なる多様な院生の参加を得ることができた。7名の参加者は、二日間の講演の骨子を正確に理解した上で、かつ小和田先生と4名の講演者が眼前で聴講するという「贅沢な」状況の中で、自由に討論を行った。

詳細をここに記すことはできないが、若手研究者による討論では、各々の専門性と地域性を意識しつつ、通説に囚われない新鮮な視点が提示された。これについては、何よりも司会を務めた総合文化研究科教授のキハラハント愛氏の巧みな誘導によるところが大きい。オンラインが基調であった初年度とは異なり、討論に対面で参加(コメンテーターのLee氏のみ韓国から出席)できたことも、院生の間でおよび院生と研究者の間で密度の濃い交流を促すことになった。討論があっという間に終わった後、森山・教養学部長が閉会の挨拶をされ、第二回小和田記念講座は無事終了した。

総括すると、時差の制約下で実施された2日限りのイベントであったものの、ライデン大学から複数の教員と院生が来日し、東京大学をはじめとする日本側の関係者と一緒に、記憶と和解という重要な争点をめぐってアカデミックでありながらも開かれた議論ができたことは、両校の交流の深まりにとどまらない社会的な意義を有していた。研究者には活発に質問する一方で院生には優しく接せられた小和田先生、多くを学ばせていただいたライデン大学の教職員と院生の皆さん、および登壇者としてないし辛抱強く準備に携わり本企画を成功に導いてくださった日本の関係者の皆さんに、この場を借りて御礼申し上げる。