小和田記念講座について

プログラムの概要

受田宏之(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 国際交流センター長)

オランダは、世界史を学んだ人にも、日本史を学んだ人にもなじみの深い国です。東京大学は、同国の最古の大学であるライデン大学との間で2009年に全学レベルの学術交流協定を締結して以来活発な交流を続けております。小和田記念講座は、東京大学とライデン大学との人文社会科学分野における研究教育交流を促進することを目的として、2021年にスタートしました。国連大使や国際司法裁判所(ICJ)の所長等、グローバルに活躍された小和田恆氏の功績を記念し、「国際法と国際関係の相互作用」にかかわるトピックを広く扱います。本学のみならず、日本の若い学生(大学院生や学部生)と研究者が、欧州を代表する大学との交流によって自らの研究や思想、アプローチを鍛錬する場を提供すること、さらにはこうした交流を通じて平和で開かれた国際秩序の創出に貢献することを目指しています。

2018年12月、それまで15年間務められたICJを退任される小和田氏に対し、ライデン大学の当時の総長より、氏のICJとライデン大学への貢献を記念して講座を設立したいという提案がなされました。小和田氏は、ライデン大学の名誉教授でもあり、同大学の学生の高い学習意欲や優れた国際感覚、複数の言語を自由に操る語学力に以前から感銘を受けておられました。同時に、東京大学教養学部でも長く非常勤講師を務められ、日本の若い世代とも接してこられました。これらの経験から、小和田氏は、ICJや国連機関の第一線で働く職員やライデン大学の教え子と比べ、日本の若者には自分の習得した学識を英語で説明し、受けた批判に建設的に応答するというプロセスを通じて国際的な発信力を身に付ける機会が不足しているとの危機感を持つようになられたのです。

そこで小和田氏は、若い世代に武者修行の場を与えるため、ライデン大学からの提案を受け入れられました。ライデン大学は、日本研究プログラムがあるなど、もともとアジアとの関係が深い機関であり、欧州とアジアの比較や人的ネットワークの形成により、小和田記念講座はライデン側にとっても実り多い交流になることが期待されます。

本学においては、総合文化研究科・教養学部が、担当部局として小和田氏の想いの実現を引き受けることになりました。COVID-19の影響を受けて着手は遅れたものの、2022年5月に、ライデン大学にて第一回の講座を開催する予定です。
本講座では、2026年度までの6年間にわたり、国際法と国際関係に関連する特定のテーマを毎年選び、著名な専門家を招いての基調講演、両機関の選抜された学生からなる討議セミナー、研究者のセミナーなどを開催します。一年目はライデン大学、二年目は東京大学というように、講演とセミナーは交互に開催されます。これら以外にも、大学院生のオンライン・ワークショップ、オンライン講演会の開催、HPでの情報発信などを通じて、活動が特定の時期に偏ることを避け、かつ社会に広く認知してもらうことを心がけます。
多くの方々に関心を持って読んでいただけるよう内容の充実に努めてまいりますので、小和田記念講座のHPにこれからもアクセスし、積極的に活用していただければ幸甚です。

小和田記念講座の目指すもの

「東大・ライデン大共同プロジェクト:小和田記念講座」の目指すもの

2022.03.01.      
小和田 恆      

このたび、オランダ・ライデン大学と東京大学との協力により、両大学共同プロジェクト「国際法と国際関係の相互作用“The Interface between International Law and International Relations”」をテーマとした共同研究を目的とする記念講座が開設されることになりました。このプロジェクトは、そのテーマの選択に当たっても、またその運営の方法においても、東アジアと西ヨーロッパを代表する両大学間の共同研究の場を提供する新たな試みを目指すものであり、参加する研究者、学徒の皆さんにとっても大きな意味を持ちうるものとなることを期待しております。

I.テーマ選択の狙い

近代国際社会の形成は、宗教改革の運動を契機として発生したヨーロッパの内戦状態に終止符を打ち平和と安定をもたらした1648年のウェストファリアの講和の成立に端を発するといわれます。このウェストファリア体制とは、国際社会(ヨーロッパ世界)が並存する主権国家によって構成される社会であるとする制度的な枠組みに立って、主権独立と内政不干渉を基本原則とするこれら主権国家相互間に成立する自律的秩序であるとする考え方に基づいています。そして、この考え方は、21世紀の今日にいたるまでの現代国際法体系の基本をなしてきた考え方であるということができます。しかし、今日地理的にグローバルな規模に拡大した地球全体を一つの社会として住む一人一人の人間(Human Beings)にとって、また主権国家の国境を越えて生ずる自然災害、環境問題などの全地球的な共通の課題に取り組まなければならない人類全体(Mankind)にとって、このような主権国家間を社会の構成要素としてその間の法的関係を律する枠組みとして成立しているウェストファリア体制の制度的枠組みそのものでは現在の国際社会の問題に対応できないことは「人間の安全保障」という問題一つを考えてみても明らかでありましょう。組織化された統治機能を持つHierarchical Society である国内社会とは異なって、国際社会は主権国家を超える統治機能を持たないAnarchical Societyであることを所与の前提としつつも、その中でも21世紀の国際社会が抱える諸問題に対応しうるような普遍性を持った規範的秩序を如何に構築していくのかが今日問われているのです。

「戦争の世紀」と呼ばれる20世紀中に二度にわたって全世界的規模で戦われた世界大戦後の21世紀の世界では、国際社会を主権国家の力の均衡の下で当然に成立する自律的社会秩序であるとする単純な考え方はその正統性を失うことになりました。この反省から生まれたのが、主権国家の自発的協力に基礎を置きつつも国際社会の組織化を通じての国際秩序の確保を目指そうという第一次大戦後の国際連盟でありました。そして、この国際連盟の失敗に露呈された欠陥の強化を目指して創設されたのが、集団保障体制による平和確保の枠組みに基礎を置く国際連合が生まれたのです。

このような国内社会の進化の歴史をアナロジーとして国際社会組織化による国際秩序の構築を目指したのが国際法秩序の進化の歴史であったとすれば、そのアンチテーゼとして生まれたのが、両大戦間の戦間期国際関係の歴史にこのような自律的秩序が主権国家の一方的な力の行使の前に脆くも崩壊した現実に国際関係の実体を見る現実主義指向の今日の流れだということができます。

しかし、近代国際社会の歴史の流れをこのような形で見る分析は、今日の国際社会をウェストファリア体制以前の世界に引き戻そうとすることであり、それは「人間が人間に対して狼である原始社会(Hobbes)」の状態を克服してきた人類の叡智と進歩の歴史を否定することに他なりません。そのような現状認識は、二度にわたる世界大戦を経験した21世紀の世界、植民地解放という歴史的変化と科学技術の発達による地球の一体化という社会的変化を背景にして真のGlobal Communityとなった21世紀の世界が直面する新しい現実に即応できる国際秩序の枠組みを提供しうるものではないことは明らかでありましょう。

今国際社会に求められているのは、主権国家間の紛争を実効的に処理できる平和の枠組みをどう確保するのか、人類が地球的規模での解決を必要とする環境問題・疾病問題等に対処しうる社会の枠組みをどう実現するのかという課題なのです。言い換えれば、我々は、国際社会の究極的な構成員である「人間(Mankind)すべて」がそのメンバーとして創造し参画する普遍的秩序の枠組みを現実のものとする「グローバル社会の世紀」へと向かう転換期にあるということができるのです。

II.研究対象の今日的意義

そういう状況変化のコンテクストでみれば、冷戦の終結が地球全体を通ずる普遍的な価値の下に統一された“A New International Order”を可能にして「歴史の終焉」に到るという希望的観測を生み、そして世界がその中で最終的勝利を収めた(という錯覚に基づいた)リベラル・デモクラシーによる普遍的価値が支配する国際秩序の実現に向かうという楽観論が(特に西側世界において)生まれたことも理解できないわけではないかもしれません。しかし、現実に冷戦構造下の二極世界の消滅後に生まれたのは一極秩序でも多極秩序でもない「極を欠く無秩序」の混乱でありました。その混乱の中で、今やGlobal Community となった国際社会に共通する価値を追究する代わりに自己のParochial Interestsを追求する主権国家間の確執が支配的となる世界が生まれました。冷戦終焉直後に勃発し今日まで続く中東紛争の契機となったイラクのクウェイト侵攻、旧ユーゴースラビア分裂の事態下で生じたジェノサイドの人権蹂躙などはいずれもこれまでに歴史的に構築されてきた国際秩序の基本的枠組みに対するチャレンジという側面を持っているのです。同じことが人権問題を中核とした米中間の対立、ウクライナ侵攻をめぐるNATO・露間の対立にも妥当するといえるでしょう。しかも、このような状況に対抗して、組織化された国際社会の名において国際秩序の維持のために行動する任務を持つ筈の国際連合は、加盟国の協力を得られない心肺停止状態にあるという不幸な現実があります。

この事態を克服するために何ができるのでしょうか。力の支配は国際関係の現実であるとして現状を肯定する一辺倒の地政学的リアリズム(Apologia的アプローチ)では問題解決に資さないことはすでに見たとおりです。他方、歴史的に構築されてきた国際秩序の基本的枠組み墨守のみを声高に叫ぶ規範的アイデアリズム(Utopia的アプローチ)だけでは、力を行使しようとする主権国家の主張を完全に制御することは困難です。これらの事態の根源にある内的要因(歴史的背景、国民的感情など)、事態のエスカレーションを激化させている外的要因(文化的、社会的背景を異にする地政学的差異、地球一体化による経済活動のグローバル化など)、さらに普遍的秩序の枠組みを構成すべき規範的要因(特にその正統性と妥当性へのチャレンジ)――といった諸要因について、従来のような単純な規範的法的アプローチや権力政治的アプローチを超えるより総合的な観点からの分析に根ざした学際的アプローチに立った状況のより精密な理解と分析が求められるのではないでしょうか。

III.記念講座運営の手法

この記念講座が目指すところは、まさしく今日の国際法学と国際関係学の境界分野に横たわるこれらの諸問題に対する理解と分析を進めるために、異なった文化の中で育ち体験を積んだ東西両大学の研究者、学徒が、その文化的教養を背景としつつ、法学、政治学、歴史学などの既存の学問領域の枠だけにとらわれない学際的アプローチを通じて、自由、闊達な討議を行うところから始まります。近年、大学間学生交流の催しや留学制度などの形で異文化と触れ合う機会が増えたことは事実です。しかし、こういう形のいわば「他流試合」ともいうべき討議の場が多いわけではないと感じます。もちろん、討議セッションはこの講座を特徴づける重要な一部でありますが、それ自体が講座の目的ではありません。むしろ、それは入り口であって、討議を通じて触発される問題意識をさらに皆さんが個別研究または共同研究の形で継続されることが重要だと考えているのです。そういう見地から、フォローアップした成果を公表することも視野に入れております。これを具体的にどういう形で公表していくかという問題については、今後さらに記念講座の運営の経験を通じて得られる知見と学問的成果を検討の上でさらに決定して行きたいと考えております。

小和田恆氏経歴

出典:『国際関係と法の支配 ― 小和田恆国際司法裁判所裁判官退任記念』 2021年8月20日 信山社

小和田恆氏業績

出典:『国際関係と法の支配 ― 小和田恆国際司法裁判所裁判官退任記念』 2021年8月20日 信山社

関係者挨拶

森山 工(東京大学大学院総合文化研究科長・教養学部長)

「小和田記念講座」は、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部と、オランダのライデン大学とが、両機関にゆかりの深い小和田恆先生を記念して設置した共同講座です。小和田先生は、外務事務次官、国際司法裁判所長を歴任された世界的に著名な国際法学者であり、外交官としてのご経験とご活躍から、国際関係・国際政治の理論と実務にも精通した研究者・実践者でいらっしゃいます。小和田先生の名前を冠する共同講座を設置できることを、総合文化研究科・教養学部は非常な名誉と受け止めています。

今日の世界では、グローバル化がますます進展し、時間と空間がますます縮減される一方で、ローカルな価値観や規範意識が相互に葛藤をきたしています。さらにそうした葛藤は、普遍的と考えられる価値観や規範意識と、地域に根差してきた価値観や規範意識との葛藤までをも生んでいます。このような世界大的な状況において、わたしたちは何をどのように課題として捉え、それをどのようにして解決に導いてゆけばよいのでしょうか。そこには、東京大学がその『東京大学憲章』に謳う「世界的視野をもった市民的エリート」の働きかけが不可欠ではないでしょうか。

「世界的視野をもった市民的エリート」とは、自分自身が身につけてきた価値観や規範意識を単に自明のものとして無自覚に受け容れるのでなく、それをあえて相対化して外側から把握し、それと同時に、異なる価値観や規範意識の存在やそのあり方にしなやかな感性をもって接することのできる人間です。そうした能力によってこそ、他者への共感的理解を得ることができ、みずからを封殺することなく他者と協働し、他者と対話を育むことが可能となるからです。東京大学が、そして総合文化研究科・教養学部が、その教育目標として掲げる「世界的視野をもった市民的エリート」の育成に、小和田記念講座が大きな成果をもたらすことを確信しています。

 


 

Leiden University OWADA CHAIR Leiden Tokyo

 

The Leiden University Executive Board is very pleased and honoured that, together with Tokyo University, we have initiated a rotating chair focussing on the interaction between international law and international relations through interdisciplinary approaches, named after the distinguished Professor Hisashi Owada. This achievement reflects the close ties between our universities, for which we are very grateful. Given professor Owada’s great services rendered to international relations and international law, and his connection with our university and contributions as a researcher, we are very honoured that he has been willing to attach his name to this chair.

The Owada Chair will be in place for six years, and will be held by leading scholars in the field, alternating between Leiden University and Tokyo University. The successive occupants of the chair will by their contribution stimulate discussion and debate on global issues, which are closely interwoven with the practice of international relations in a geopolitical perspective and also with international law.

Our intentions with the Owada Chair Programme are to stimulate discussion about geopolitics and international law in a changing world, to contribute to strengthening the ties between the Netherlands and Japan as well as to acknowledge the important contributions of professor Owada in this field and in this relationship.

The first holder of the Owada Chair will be Dominique Moïsi, professor at King’s College in London. Professor Dominique Moïsi studied at Sciences Po Paris and Harvard University, and obtained his PhD at the Sorbonne. He founded and led the Institut Français des Relations Internationales. He is currently a professor at King’s College in London, and has taught at various leading universities in Europe. Since 2016 Moïsi has also been an adviser for the Institut Montaigne, a renowned Paris thinktank.

If the pandemic permits, we hope very much to be able to welcome professors Moïsi and Owada this spring in Leiden for the first inaugural lecture of the Owada Chair on May 24, 2022.

Professor Annetje Ottow, President
Professor Hester Bijl, Rector Magnificus
Martijn Ridderbos, Vice-chairman
Leiden University