旭英昭(元東京大学教授)
本 HP の立ち上げにあたり、早々とコラムに執筆の機会を頂戴して、名誉と感じると共に、何を寄稿するかで戸惑いも覚える次第である。しかしながら、本コラムの特色が “随筆” ということなので、それなら学術的な堅苦しい筋立てからは少し羽目を外して、いろいろなトピック、エピソードを摘み食いするような形で、わたしの話を組み立ててみたい気持ちになった。それによって、以下に用意した拙稿が本小和田記念講座に向けて読者の関心を惹くことに多少なりとも役立って、また関係する学問に対する向学心に火をつけることができればこれまた幸いと愚考する次第である。
東京大学とライデン大学双方にコロナ禍の予期せぬ事情があって延び延びになったが、いよいよ来たる 5 月には第一回目のプログラムがライデンで実施の運びとなり、関係者のひとりとしてその喜びは計り知れない。
微力ながらも、わたしが本記念共同講座の立ち上げのお手伝いすることになった経緯には、外務省奉職中に小和田さん(当時、国連代表部大使)にお仕えした縁とその後駒場で教壇に立つことになった経験が関係する。(小和田さんには、その呼びかけとして、大使、判事、教授等の敬称と “小和田さん” との呼び方があるが、本講座関係のお手伝いを始めて以降は、わたしには“小和田さん”と呼ぶことが厳命されている。)
1. 外交官/法律家: 小和田恆とエリフ・ルート
本 HP の冒頭に掲載されている小和田さんの寄稿小論文「小和田記念講座の目指すもの」(以下、“小論文”と略)には、昨年 8 月に刊行された記念論文集『国際関係と法の支配』(信山社)に収録されている巻頭論文「国際関係と国際法」に見られる問題意識がより鋭利な、一部の隙もない形で引き継がれている。そこには、表題にある通りの本記念講座のガイドラインが示されていて、また、小和田さんの外交官/法律家/研究者としての真髄が凝縮されている。
じつは、わたしは現在、ある本の翻訳作業に没頭しているが、そのなかではじめてアメリカの元国務長官エリフ・ルート(1913 年に、国際法の発展に貢献した理由で、ノーベル平和賞授賞)に出会った。彼は、小和田さんが自らの恩師(mentor)と語る人物である。確かに、思想的にも、また特に、その国際法に賭ける生き方、さらには、厳しい現実のなかで最善の策を探る外交処方術を見ても、小和田さんと重なる部分が非常に多いのに驚かされる。
そのルートについて論じているのが、元世界銀行総裁ロバート・ゼーリックである。民主国家アメリカには建国以来、大国や専制君主国家群に取り囲まれた中で権力政治を生き抜いてきた歴史がある。しかし、それだけではない、国際法によるより安定した秩序を切り開く可能性を生涯かけて模索したルートを見守るゼーリックの眼は優しい。彼自身も、「アメリカ外交は権力政治だけに依拠することはできない。また、そうすべきではない」と述べている。
上述した記念論文集には私も寄稿する栄誉に浴して、拙稿「“ツキジデスの罠”を避けるための知恵」が収録されている。そのなかには、わたしの筆が走り過ぎて生まれ出た拙い“小和田恆論”があるが、その下敷きになったのがゼーリックである。彼は、わたしが外務省入省後にアメリカに在外研修に行った先のリベラル・アーツのカレッジで寄宿舎を同じくしたルームメートであり、その関係は爾来四十年以上も続く、親しい友人である。
ゼーリックは、小和田さんとも旧知の間柄であり、いずれも「国際法学と国際関係学の乖離」を埋めようとして、それを外交的に実践した。冷戦終了後の 1992 年に発出された日米首脳共同声明(「日米グローバルパートナーシップ東京宣言」)には、グローバルガバナンスの文脈のなかで新たな日米関係を再定義し、日本の国際的な役割を大きく前進させた二人の構想と努力が読み取れる。つまり、それは、“小論文”での言葉で言い換えるならば、「… 真の Global Community となった 21 世紀の世界が直面する新しい現実に即応できる国際秩序の枠組みを提供する」試みに通じるものである。まさに、一世紀前にその時代を背景にして奮闘したルートの影をみるようでもある。ご関心を抱く向きはこの間の経緯を取りまとめた上述の拙稿を読んでいただくのがよい。そして、何故、その表題を「“ツキジデスの罠”を避けるための知恵」と題して、そこに願いを込めたのか、考えて欲しい。
2. ウクライナ危機から何を学ぶか
現在在籍している学生、院生、研究員の皆さんも、世界の関心が釘付けされているウクライナ情勢が問いかけるものから学ぶことは多々あろう。21 世紀に入った今日、19 世紀と 20 世紀に起きた戦争はもう起きないだろうと誰もがそう信じて疑わなかった。そんな知的雰囲気のなかで起きたこの戦争からは、われわれのところに届く情報に大きな制約があるものの、“ポスト・ウクライナの国際秩序”を構想する上で幾つかの大きなヒントが垣間見える。
“小論文”にあるように、どの発展段階の国際社会を考えるかにも依るが、国際秩序を考える場合、究極的には、「パワーにはパワーで」との“抑止”の鉄則は不変である。しかし、今回核戦争へのエスカレーションを恐れて、パワーによる現状変更を食い止めるまでの段階で(更に、冷戦後の NATO の東方拡大の問題まで遡って)、米国・NATO がとった(抑止に失敗した)対応振りには今後の検証が求められよう。なぜなら、慎重でなければならないのは勿論のことであるが、しかし、それを意識した上でも、大胆ではあるが、より巧みな判断とより効果的な行動がとれたのではなかったのかとの思いがするからである。現に、ロシア軍の軍事力の行使によって、現場となったウクライナ各地では人道的な危機が発生しており、四百万人を越えるウクライナ国民が国外に避難したと報道されている。無垢な市民、弱者が常に被害者となる現実は限りなく重い。最近では、戦争犯罪(war crimes)が犯されたとの報道までが広がり、事態はますます深刻化していて、停戦交渉が行われてはいても、見通しは立たない。
他方で、“ポスト・ウクライナの国際秩序”を考える戦略家たちは、アメリカ主導のグローバ化された国際経済金融システムから切り離される“疲弊するロシア”の姿を浮かべて、その後のパワー・バランス(勢力均衡)に如何なる影響が及ぶかを注目する。既に 歴史の教訓から“ベルサイユの悲劇(ドイツ)”が語られ、ロシアからの安価な石油買い付けに傾くインドの思惑、ロシアとの友好を誓った中国の動向に見られる大国間の攻防が、彼らの関心の的のようである。
確かに、ロシアに対するアメリカ・NATO の対抗策は“非対称”と“非軍事性”において特徴的である。具体的には、大国ロシアからの核の脅威と情報の操作統制に対して、小国ウクライナが戦場での強力な携行兵器と世界に向けた SNS 発信によって対抗する構図が連日報じられている。また、その効果測定はこの時点では評価が分かれるが、金融、貿易、更にはエネルギーのネットワークに依存した経済的なパワーが、安全保障の文脈でも注目されている。なかでも、対外的な介入や“終わりのない戦争”に国内的な抵抗感の強いアメリカは、既に 9/11 から芽を出した基軸通貨ドルに依拠した、軍事力にも比する新しい通貨金融パワー(weaponization of finance)の本格始動に踏み切ったが、今後が注目される。また、いわゆるインテリジェンス情報を世界に意図的に開示することで相手方を心理的にも追い詰める今日的な情報戦も新しい次元に入った感じがする。
五大国に拒否権を付与した現在の国連による集団安全保障体制が、今回のロシアの侵攻に機能していないのは、ゼレンスキー大統領からの糾弾を待つこともなく明白である。なぜならば、ジョセフ・ナイの説明を使えば、「世界が一団となって(核を保有した)大国と戦争をするとなると“家ごと丸焼けになる”ために、それを回避するヒューズ(安全器)となるのが、拒否権だ」ということである。残念ながら、これが国連発足時と同じ、今日の国際社会の現実であり、大国まで含めた普遍的な集団安全保障体制を作る際の限界である。(集団的な)自衛権以外には代替となるものが見つからないのは、“小論文”の指摘にもある「人間が人間に対して狼である原始社会(Hobbes)」へ回帰するが如くであり、国際関係論を学ぶ者としては深刻なディレンマである。
さらにもう一点是非とも考えて欲しいのは、安保理が機能麻痺したことからその代替として緊急に開かれた国連総会特別会合での審議で、141(賛成)-5(反対)-35(棄権)の票決に表れたロシア非難決議の意味合いである。その数は 国連加盟国数(193 カ国)の 2/3 の絶対多数を占めるが、全世界人口からみるとほぼ半分に過ぎないとの報道が目を引く。その後の、人権理事会でのロシアの理事国資格停止の票決は、他の理由も絡んで、賛成国の比率は低下する。その背後にあるのが、途上国の優先課題が必ずしも先進国の側のそれと一致しない現実である。未だ沈静化しないコロナ禍やロシアのウクライナ侵略に付随して膨大化する債務累積、エネルギーや食糧の危機が、21 世紀に入り世界経済の成長のひとつの柱にまで成長した発展途上経済圏のなかの、特に、中低所得諸国に対する経済的な負担、重圧となって苦しめている。「ウクライナは、われわれのために戦っている」とのヨーロッパ(先進経済諸国)からの声が届くが、その 「われわれ」の意味するところが世界の半分だけだとしたら、どうだろうか。開発の問題は世界をひとつにする引き続きの大きな課題である。
最後に、フランシス・フクヤマによれば、政治学は他の社会科学に比して、アクター(行動主体)の行動決定に関する分析が遅れているという。そのため、効用を最大化する合理的な行動決定に向かう新古典派経済学や社会からの無意識な影響を重視する社会学からの影響が見られる。この問題について、フクヤマは初期の著作 Trust のなかで「20%の解決策」という興味深い一章を書いて論じている。いずれも、上述した“小論文”のなかで言及のある「事態の根源にある内的、外的、規範的 …と言った諸要因」に関係するものであり、地政学が絡むとも指摘される専制者(今回のプーチン大統領)の動機を解明する上でも、更なる研究が求められよう。
以上、いずれもが本講座に興味を持たれる読者が研究の対象としてとりあげるテーマになるのかも知れない。
3. 理論と実践: 歴史から学ぶ
わたしの社会科学(とその方法論)との出会いは、入学後、駒場で、丸山眞男教授のお弟子さんの神島二郎教授と京極純一教授による今でも記憶に残る政治学の基礎講座からであった。自然科学が依拠するラボラトリー(実験室)が存在しない社会科学を学ぶ上で、歴史にそれの代替を求める方向性(History does not repeat itself, but it often rhymes)に関心を覚えた(しかし、そこには“不連続性”の落とし穴が潜んでいた)。そのために、本郷に進んだ後も 法学部での三類(政治コース)の授業を通して、ツキジデスの『戦史』からはじまって、古典を読み漁った。ゼミは福田歓一教授によるエドマンド・バークの『フランス革命の省察』の原書講読を選んだ。保守主義について何かと言うよりも、人間の繰り返される社会生活、行動の蓄積のなかから生まれる政治秩序形成の原点について学んだような気がした。次年度は是非とも、丸山真男教授の日本政治思想史講義を受講して、そして、ゼミにも応募したいと願っていた。しかし、同教授は東大紛争中に体調を崩された由で、以降法学部での講義もゼミも開かれることはなかった。
大学が紛争で一時閉鎖した後、再開後の変則的な(授業の遅れを取り戻すための詰め込み)カリキュラム編成に反発して(駒場時代の)クラスの約半数が留年したなかで、わたしもそれに加わった。
そして、その間一心発起して、外交官試験に合格して、外務省に入った。
わたしは、その後、駒場に戻って教壇に立った際に、パワー(権力)について論じる際には、ナイを引用して、「それは、定義したり、計測したりするのではなく、愛と同様に、自ら経験する(experience)ものである」と説いた。わたしがそう肌で感じたのは、「国際法学と国際関係学の乖離」、或いは、「国際法と国際関係の相互作用(The interface between International Law and International Relations)」のテーマを外交の現場で実際の問題として取り組んでからのことである。
4. 理論と実践: 革命渦中でパワーを感じる
わたしは、1980-82 年の三年間、ホメイニ革命直後のイランに勤務した。専制皇帝(シャー)が国外に退去して、最小限の流血で革命は達成された。しかし、その後の体制をどうするかで、シャー体制打倒の一点で結束した諸政治勢力の間で第二幕の死闘がはじまったところだった。そこでわたしが目撃したのが、今でも頭の奥底に焼き付いてる革命渦中の奇妙な光景であった。それは、最大の武装民兵組織(後に、革命防衛隊(パスダラン)として発展)を抱えた政治勢力が、大都市の治安維持のために市街地各所に設けた、周囲の風景からは隔絶したトーチカだった。市民のなかに紛れ込んだ都市ゲリラの襲撃から身を守るための備えは戦場のそれのごとくに異様だった。また、夜間外出の際には、運転する車は窓ガラスを開けて、車内をランプで点灯するように命じた指令書が市中に出回った。わたしは、赴任当初、うっかりそれを忘れて、夜間運転中に警告射撃を受けて肝を冷やしたことを覚えている。
市街地での銃撃戦、公開処刑の告知、仕掛け爆弾、更には、アメリカ軍特殊部隊による人質として捕われた大使館員救出作戦の失敗、西側外交官をスパイと見なす革命当局からの厳しい監視の目、イラクとの戦争の勃発、連夜の空襲警報のサイレンのけたたましい音、そして、邦人保護、国外への退去支援 等々 … 日々、一週間先が見通せない、非日常的な生活が続いた。そんな緊張感のなか、その手懸かりを闇のなかで探すが如くに、嘗て自分たちと同じような境遇に遭遇した人々は一体何を考え、どう行動したのかを模索する思考が過去に向かった。その時、ふと、学生時代に読んだ記憶があるツキジデスの『戦史』を思い出した。ようやく入手した本を夢中で読み返した …
このように、(裸の)暴力(raw force)だけで公の秩序を維持しようとすると大変なコストがかかることを肌で感じた。他方、われわれはもうひとつの反対側の極にある自発的な同意(consent)、服従(allegiance)に基づく安定して安心できる秩序については経験済みである。われわれは、これを当然視している。岡義達教授の講義(『政治学』(岩波新書))から学んだこの “状況化”と“制度化”の両極をもつ定規は、国際関係の“パワーによる秩序”と国際法の“規範による秩序”とも言い換えることができよう。また“小論文”の用語をつかえば、Apologia 的なアプローチと Utopia 的なアプローチである。わたしは、国内社会(hierarchical society) にあるような中央政府が存在しないという意味での、ヘドレイ・ブルの云う“アナキカルな国際社会(anarchical society)”は、この二つの秩序がマダラ模様に組み合わされた政治空間であると、自分の講義のなかで論じた。
これに関連して、わたしが教材の一つとして指定した『国際政治』(中公新書)の著者、高坂正堯は、次のような言い回しで表現する。これは、先に紹介したエリフ・ルートが辿り着いた考察の末の結論とも一致する。
「… すべての秩序は力の体系であるとともに、価値の体系である。われわれの国家にしてもそれは単に中央権力のおよぶ範囲を言うわけではない。国民が基本的な価値体系を共有しているからこそ、そこに秩序が成立しているのである。それなしに力だけがおよんでも、それはカントの言うように専制になるか、または無政府状態になってしまう。人びとは、共通の行動様式と価値体系という目に見えない糸によって結ばれてはじめて、国家などの制度を構成することができるのである。しかし、共通の価値体系が育ちさえすれば、それで秩序ができるわけではない。やはり権力による強制がなくてはならない。正確に言えば、権力による強制の支えがなければ共通の価値体系もない。」
わたしの認識と分析の枠組みはここで終わる。しかし、小和田さんは“小論文”のなかで、「われわれが …“グローバル社会の世紀”へと向かう転換期にある」との認識に基づいて、本記念講座のめざすものを通じて、その先を見据えるが如くである。その手法も「 … より総合的な観点からの分析に根差した学際的アプローチに立った状況の精密な理解と分析が求められる」としているが、その学問に対する姿勢は斬新であり、且つまた意欲的である。その壮大なパースペクティブを前にしてわたしは立ちすくむ思いであるが、若い皆さんには是非とも「国際法と国際関係の相互作用」のテーマについて挑戦してほしいと願っている。
5. リアルポリティークと“革新する力”
これから取り上げるトピック(キッシンジャーとゼーリック)は、HP 編集担当からの示唆によって書き足したものであるが、本記念講座が目指す射程のなかで捉えてみたい。
先にも触れたゼーリックは、ハーバードで、ロースクール(法科大学院)とケネディ・スクール(政治行政大学院)で二つの学位を同時に取った秀才(double-degree student)だが、彼の恩師グレアム・アリソンを通して、ヘンリー・キッシンジャーにも繋がっている。ゼーリックはキッシンジャーを敬愛し、逆に、キッシンジャーからも認められて寵愛を受けているとも仄聞する。しかし、彼等の思考はある面では対称的で、緊張すら孕んでいるといえよう。しかし、二人とも冷徹なリアリストであり、大局観を持って、大きな図柄を描くことのできる戦略家である点も指摘できよう。数多くのキッシンジャー論があるなかから、ゼーリックからは、彼の友人で歴史家のニアル・ファーガソンが 2015 年に出版した Kissinger 1923-68 The Idealist を薦められた。
ゼーリックは、アメリカで評判の彼の著書 America in the World: A History of U. S. Diplomacyand Foreign Policy のなかで、その一章をニクソンと一緒にキッシンジャーに振り当てている。その副題は American Realpolitik となっているが、二人に特有なリアルポリティークを駆使した、対中国交回復とそれ以降の中国との関係を詳細に論じている。そこからみえるものは、変転する世界の流れのなかにみるアメリカのパワーの相対的な後退を巡る認識と、アメリカに特有な外交的伝統に対する評価、さらには、アメリカ社会が秘める“革新する力”をめぐる解釈にみられる、キッシンジャーとゼーリックの間の違いである。
6. 同盟と、経済を含めた安全保障
ここでは、以下それについて二点だけ紹介することにしたい。最初は、同盟に関する考え方である。ニクソン/キッシンジャーは米ソ冷戦が激化するなかで、相対的に低下するアメリカの力に不安と悲観論を抱いた結果、対中改善を図って中国を引き込み、ソ連との勢力均衡の回復に乗り出した。しかし、これに対して、ゼーリックは、そのようなやり方は、19 世紀型の、便宜的な、“古い”同盟のそれであるとして批判的である。先のルートも、ワシントンやジェファーソン 以来の“恒久的(permanent)”、あるいは、“動きの取れなくなる(entangling)”同盟に対する警戒感が支配する外交的伝統のなかで、同盟は政府の自主的な判断を奪い、自動的に戦争に向かわせる怖れがあるとの理由から否定的であった。
これに対して、ゼーリックは、政治、経済、軍事的な絆をベースにした長続きする同盟形成を重視する。具体的には、NATO や日米関係が思い浮かぶが、その先には、グローバルなガバナンスの形として、小和田さんが描いた pax consortis(協調による平和)が、わたしの脳裏には浮かぶ。しかし、そのような同盟には、皮肉なことに、最初は実は状況に追随する形で発展した歴史がある。つまり、第二次大戦終了直後(1947-49 年)に広がったソ連からの差し迫る脅威とヨーロッパの深刻な経済困難を前にして、ゼーリックの解釈によれば、「事前に立てられた計画も戦略もないままに」、経済、政治的なネットワークとそれを支える軍事的なアームが結びつく形で生まれ、既成事実化されて、今日に至っている。
第二は、ゼーリックが注目する国家のパワーの創出に貢献する、アメリカ社会、特に民間部門が秘める“革新力”、つまり、経済力が果たす秩序の形成と、それが安全保障に及ぼす役割である。アメリカ外交界でも経済が分かる稀有な存在として一目も二目もおかれるゼーリックは、冷戦時代に政治・軍事によって独占された伝統的な安全保障の概念の再定義に挑戦する。つまり、「国家のパワーは、軍事力だけでなく、経済や社会がもつダイナミズム、革新力、そして、その影響力によって構成される」と主張する。
ゼーリックは、ニクソンもキッシンジャーにもその認識が欠落したために、1971 年のニクソン・ショックの際に盛り込まれた、金ドル兌換の停止をはじめとする経済対策は対処療法的なものに止まったと指摘する。つまり、彼らはアメリカの経済が有する潜在的な強さを理解できていなかった。ただし、キッシンジャーについては、この時代の主要な経済的な出来事を、かれ自身の世界観のなかに取り込もうとしたと、ゼーリックは論じた。当時のニクソン政権のスタッフのなかでその重要性を理解していたのは、シカゴ学派の開祖ミルトン・フリードマンにも通じた、レーガン時代になって財務長官に就任したジョージ・シュルツである。彼はその考えを新自由主義(ネオリベラリズム)的な経済政策に結実させて、資本主義の復活に貢献することになる。
7. 中国とどう向き合うか
最後に、中国に対してであるが、アメリカが 70 余年主導して来た国際システム(ジョン・アイケンベリーが名付けた所謂“リベラルな国際秩序(LIO)”)のステークホルダーたれと呼びかけたのは、当時国務副長官のゼーリックである。しかし、米中対立が激化する昨今、中国が部分的にもそこからdecoupling(離脱)する姿勢を見せていることが報じられている。ゼーリックは、反中国感情が高まるアメリカ議会、国内社会に向けて、自らを“つむじ曲がり(contrarian)”と自認しつつも、現行のシステムのなかに中国に“然るべきスペース”を提供することの戦略的な狙いと政策的な正しさを説いている。
彼は、歴史的にアメリカ外交に見られる、中国に対する三つのアプローチについて説明する。そのひとつは、「明白な運命(Manifest Destiny)」に則った西方漸進の先にある中国に対して大きな交易のチャンスを窺う経済的な動きである。それは、18 世紀後半にまで遡る。19 世紀末には、アフリカ分割を終え、アジアに目を向けたヨーロッパ列強諸国を牽制して、中国(市場)を守るために、(当時)国務長官ジョン・ヘイは、門戸開放政策を掲げる。次に、アメリカでは、将来中国が、世界で大きなパワーになる潜在性を秘めているとの見方が顔を覗かせる。中国を第二次大戦後の主要国のひとつとして取り上げた FDR、米中ソの三極外交を進めたニクソンとキッシンジャー、更には、ステークホルダー論もそのひとであろう。
問題は、対中関与政策に、中国を自らのイメージで作り変えようとする(convert)思考癖が見られることである。これが中国からの強い反発を招くことになり、その結果、米中関係の歴史には、(アメリカによる)関与(engagement)と(中国からの)反発(rejection)が繰り返されてきた。ゼーリックは、「アメリカ国民はこれまで犯した過ちを改めて、そうあるべき中国ではなく、あるがままの姿の中国と向き合うべきである」として、双方の利益の交わるところに着目した現実主義的な対中政策を説いた。
また、彼には、ブッシュ時代のネオコンやトランプ前大統領にも真っ向対立する政治的な誠実さと勇気を兼ね備えた強さがみられる。その背後には、アメリカが持つ ― 逆に、中国には欠けるとゼーリックが指摘する ― 経済を中心とした“革新力”に対する強い信頼感が見て取れる。小和田記念講座の目指す射程に入るものと解釈する。
以上、随筆ゆえに結論はないが、読者の皆さんに伝えたかったことは、「安定した国際秩序はどうして生まれるのか」についてである。それは、「権力(パワー)と国際法の発展、そして、健全な経済(政策)の組み合わせが大事だ」との歴史から導き出された教訓である。皆さんの知的好奇心を少しでもくすぐることが出来たとすれば、その目的を果たしたことになる。